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毛のない猫、森羅(シンラ)と名づけました。

生後4ヶ月です。

先住の蓮ヲ(ハスオ)は、耳が聴こえません。

いわゆる“言葉”を介さずに世界を生きています。


森羅(シンラ)は、毛で飾られていません。

一般的な“綺麗さ”に寄らない姿をしています。

私は作品の中で「存在そのもの」を研究対象として制作しています。

“言葉”や“他者の基準による美”に依存しない存在について、考え続けています。


ふたりは、

私を癒してくれる存在であることも確かですが、

それ以上に、

私の研究(冒険)を共に旅する同行者です。


今後また登場することもあるかもしれません。

その時はぜひ、私とともにその成長を見守っていただけたら嬉しいです。


2026.02.22


実は個展初日、大学(哲学専攻)の卒業論文を提出してきました。


書籍作りの時とはまた違い、育児と制作、そして通学しながら履修を重ねて考察してきたため、提出までに5年を要しました。

本論では、「美は技術で表現できるのか」という問いを軸に、美の本質と美術表現の関係について論じています。


私は美大出身ではないがゆえに、感覚や経験だけで語る立場に、どこか不自由さを感じていました。

制作に関しては、理論や歴史を通過する必要はないと思います。


ただ、真実を述べたいからこそ、偉そうなことを言うのであれば、本名を名乗ることも含めてフェアに挑戦したい。

「立場の違いを言い訳にしたくない」という活動体制は、結果として私を自由にしました。


異業種からの参入であることの免罪符はありがたくいただきながらも、そのチケットでは行けない場所へ行きたい自分に対して、

自分の出来得る中で、最も厳しい地点から向き合うための試みでした。


西洋美学・東洋思想・近代哲学・20世紀以降の美術表現を横断しながら、

制作行為そのものを、思考の対象として扱っています。


絵と違い、「言葉ではない」ということを言葉に残す行為には、それなりの覚悟と責任が伴います。

私は作品において、理解されることよりも、思い出されることの検証に重きを置いてきました。

その経緯を言語化することが、この論文で行った作業です。


反技術的な作家であるにもかかわらず、アカデミックに手を伸ばすことについて、異なるご意見があったことも承知していました。


しかしそれでもいま、2万字強を通して、先行する美術史的議論を踏まえ、現時点でのひとつの立場として自論を提示することができ、その先に見えている景色を、大切に思っています。


美術に対する私なりの最大限の敬意を込めて、この論を遺します。




***


家族、変わらず応援してくださるみなさま。

そして、この論に至るまでの道を築いて下さった先輩、

荘子、プラトン、カント、ハイデガー、メルロ=ポンティ、

ダダ、ネオ・ダダ、アール・ブリュット、アメリカ抽象表現主義、

具体美術、もの派、

マレーヴィチ、ロバート・ライマン、サイ・トゥオンブリー

(一部抜粋/敬称略)


多くの支えがあって、ここまで辿り着きました。

アンチも含め目撃してくれた皆に心より感謝します。



最終面接試験の後、何も問題がなければ

来年3月に卒業予定です。

また報告します。


谷口弓(Tantan)


先日出演した

クラシック × 現代アート × ダンスのコンサート

「花子のやりたいコンサート」より、

リハーサル時の写真をいただきました。


光と音に包まれながら描く時間は、

ほんの一瞬なのに、ずっと心に残っています。


本番の動画も公開できる予定です。

ぜひお楽しみに🕊️













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